目的を達成するために使った手段は、目的とおなじくらい重要である

これは、サーバントリーダーシップの前書き部分に書いてあった言葉。

大義名分さえあれば、何をしても良いとか、目的が手段を正当化してくれるとかいうのは間違っていて、
目的と同様に手段も良心にかなったものでなくてはならない。
仮に卑劣な手段、非道徳的なやり方で目的を達成しても、それは長続きしない、
ということらしい。

カントの有名な言葉に

人間を単なる手段として扱ってはならず、目的自体として扱わなければならない

という言葉がある。

カントによれば、人格を有する存在は、他のものと引き換えがきかない価値(尊厳) を持つ。つまり、人間(やその他の理性的存在者)は、かけがえのない尊さを持つ。それに対して、人格以外の物は、単なる交換価値を持つだけで、いつでも他のものと交換することができる。つまり、置き換えがきく。したがって、たとえばナチスの人体実験のように、目的を達成するための手段としてのみユダヤ人を用いることは、人格が持つ尊厳を踏みにじる行為だと考えられる。

では、どのようにして人を扱えばいいのかというと、人は理性を持ち、自分の人生を決める能力を持っているのだから、その人の自律を尊重することによって、相手の人格が持つ尊厳を尊重したことになるとされる。つまり、スーパーにお使いに行ってもらうときなど、他人を手段として扱う場合は、当人の同意がなければ、奴隷と同じ扱いになってしまうが、当人の心からの同意があれば、「手段としてのみではなく、目的自体として」扱っていることになる。

手段と目的

人間を道具や奴隷のように扱ってはならない、というと当たり前のことではあるけれども、
特に仕事や子育ての面では、達成したい目的だけにとらわれると、人間に対する接し方を間違ってしまうので気をつけたい。

4 月 18, 2009   Posted in: 読書

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